いろいろなものが簡単に買えるようになった。ワンクリックでオンラインで購入もできるし、検索すれば売っている店をすぐに見つけられる。10年くらい前、俺は初めてインターネットをつないだり英語の勉強を開始したりしたんだけど、それは海外から楽器のパーツを個人輸入するためだった。今だったら、日本語での通販(EC)サイトはあふれているし、100兆円の大仏とかも楽天で購入できるし、醤油のプラスチック小瓶のふたとかも個人が楽勝で即注文できる。語学をやる必要も無いし、すでに水道や電気と同じように自宅にインターネットが通ってる。
オンラインでもリアル店舗でも、予算が厳しければ店舗同士を比較したりして同じものもほかより安く買うこともできる。それでもかえないような高いものはローンを組んだりすれば買える。ローン会社が支払能力があると認めれば、通販で自動車や住宅も購入できる。高額なものも、小額なものも、オンラインで買えない物はほとんどない。
でも、買う気がおこらなくて困っている。金さえあれば誰でも購入できてしまうものはすべて、手に入れる価値がないように思えてしまい、物欲が無い。所有欲が無い。有価証券や金塊などのカネに近い商品も、ほとんどのものは価値が安定しないから、購入しても無駄だと思ってしまう。衣服、住宅、車、CD、本、家電、、、、ほとんどのものは購入後に色あせていくので、購入してもその後を考えると無駄に思えてしまう。それは必要か?価値があるか?10年後も使っているか?20年後も持っているか?50年後にも価値があるものか?ならば今から何を買うべきなんだ?
今手元にある物を考えてみる。15年前に買ったゲーム音楽のCDを、現在でもIPODに入れて聞いている。新しい物を探すのがおっくうだからだ。趣味は?ここ10年かわらない。衣食住はどうでもいい。何か、自分の人生をいい方向に変える物があるなら、もしその可能性があるなら、購入すべきだろう。頭ではわかる。しかし、別のささやきも同時に聞こえる。「手に入れてひと時の満足感を得るために何かを購入するのは無意味だ。」「誰かに自慢するために何かを購入するのは無意味だ。」「ならば何のために何を買えば?」
でまあ、主に散歩したり自宅でゴロゴロしているわけなのですが、たまに買いたいな、と思う物も見かけることがある。しかし、ほとんどのものは、どこかで広告を見たとか、店で見て気に入ったとか、「買わせたい」という売り手の意思が介在していることが頭をかすめてしまうこともあり、購入前に萎える。銀行口座の残高を減らすために、ローンの額を増やすために、満足感を得るために、誰かに自慢するために、、、物を買うのに理由なんていらないとは思うのだけど、常に頭の中にあるのは、「それで、何になるの?」だ。
本当に、ほかのすべてを犠牲にしてもただひとつだけ欲しい物を考えてみる。思い浮かんだら次は、「いくらで買える?そもそも金で買えるのか?」。自分が欲しい物が無いので、会う人会う人、「最近欲しい物とかある?」とか聞きまくるんだけど、相手が若かったり学生であれば、物欲寄りの答えが返ってくる。旅行したい、趣味に金を使いたい、などなど。20台中盤以降の社会人であればだいたいカネ。できた奴らからは「親孝行」という答えが聞けたことも。あとは、商売始める、投資する、貯金する、マンション買う。。。本当に手に入れたいものに向かう過程で、カネやモノが必要な場合もあるだろう。でも一般的には幸せを手に入れる過程でカネが必要になる場合が多いだけで、金があればイコール幸せではないってな認識。だから、マンションを買ってどうなるの?服を買ってどうなる?ブランド品をそろえて幸せ?高いメシを食って楽しい?
本当に価値があるものは、いくら金があってもなかなか買えない物だ。どんなに貧窮しようとも最後まで捨てないものだ。みたいなことを思ったりもしたので、あらゆる所有物を捨てたり譲渡したりしてみた、最後に何が残るか試してみた。
で、どうなったかと言うと、下記の物が残った。
・過去の日記やアルバム
・必要最低限の衣服
・iphoneとmac
・冷蔵庫と洗濯機
・工具
・布団一組
・イス一脚
過去の日記やアルバムは、読み返したりして過去の時間軸にバタフライエフェクトるために必要なので、なかなか手放せないけども、一ミリもさわってはいないし、入っている箱すら開いてないので、どこかトランクルームなりにぶち込んでしまえば自宅に置かなくてもいいような雰囲気だ。
必要最低限の衣服は持っていないと、寒かったり逮捕されたりで不便。しかし、どこへ旅行に行くにも一番かさばるのは衣類。どうにかならない物か。もはや、購入する基準が「コンパクトに折り畳めるかどうか」「いつ捨ててももったいなくないかどうか」等になってきている。本末転倒だ。
iphoneとmacに関しては、常日頃から捨てたいと思っていて、何かこう、鎖に繋がれているように感じたり、奴隷の足についてる鉄球みたいに思えたりする。(何せ2kgある鉄板を毎日持ち歩いてるのと同じ負担がかかっているし)。これも、まあ、手放しちゃってもいいかなと思えるような準備はできた。具体的には、1.友人知人にはこちらから連絡する 2.コンピュータは作業するべき場所で借りる で何とかなると精査できた。多分今までに携帯電話を30〜40回買い替えて、番号も何十回もかわっているので、俺を知っている人ならみんな、突然知らない番号からかかってきても普通に話してくれるようになったし、パソコンとかはもうどこにでもあるので、必要な時だけ借りることができる。
冷蔵庫と洗濯機は、部屋を引き払うまではあった方が便利だから残してるけど、無きゃないで前職が異色にしてコインランドリーに行けばすむ話だ。
工具、これはなぜ残しているかと言うと、自分のtodolistに書いたタスクに未練があるから。すなわち、楽器作る気はまだあると言うこと。
布団一組、まだ無きゃ寒い季節。去年の夏は、日本にいる時は毛布だけで床に寝ていたよ。
イス一脚。AMAZONで買った7000円くらいの奴なんだけど、今までで一番座り心地がいい上に、もう取り扱いが終了してるので捨てる決心ができていない。
これだけだ。
机、棚、本、その他日用品、上記以外の物は全て不要だった。簡単に誰にでも買える物は無価値だと思うのと同様に、簡単にいつでも捨てられるものは無価値だとも思っていたので、消費者にならずに暮らして行けば、ぶっちゃけ服だけあればOKと言うことがわかった。
また、ここまでやってわかったのだけど(ここまでやる前に分かれよとも思うのだけど)やはり最後に一個楽器を作って、それで終了にしたいと言う思いがまだ残っていることも確認できた。
と言った感じにモノは処分できたのだけど、自分に物欲が無かったりハマれる物が無かったり、金をつぎ込む対象がなかったりするので、それらがある人に対しては、うらやましいなと感じている。
オンラインでもリアル店舗でも、予算が厳しければ店舗同士を比較したりして同じものもほかより安く買うこともできる。それでもかえないような高いものはローンを組んだりすれば買える。ローン会社が支払能力があると認めれば、通販で自動車や住宅も購入できる。高額なものも、小額なものも、オンラインで買えない物はほとんどない。
でも、買う気がおこらなくて困っている。金さえあれば誰でも購入できてしまうものはすべて、手に入れる価値がないように思えてしまい、物欲が無い。所有欲が無い。有価証券や金塊などのカネに近い商品も、ほとんどのものは価値が安定しないから、購入しても無駄だと思ってしまう。衣服、住宅、車、CD、本、家電、、、、ほとんどのものは購入後に色あせていくので、購入してもその後を考えると無駄に思えてしまう。それは必要か?価値があるか?10年後も使っているか?20年後も持っているか?50年後にも価値があるものか?ならば今から何を買うべきなんだ?
今手元にある物を考えてみる。15年前に買ったゲーム音楽のCDを、現在でもIPODに入れて聞いている。新しい物を探すのがおっくうだからだ。趣味は?ここ10年かわらない。衣食住はどうでもいい。何か、自分の人生をいい方向に変える物があるなら、もしその可能性があるなら、購入すべきだろう。頭ではわかる。しかし、別のささやきも同時に聞こえる。「手に入れてひと時の満足感を得るために何かを購入するのは無意味だ。」「誰かに自慢するために何かを購入するのは無意味だ。」「ならば何のために何を買えば?」
でまあ、主に散歩したり自宅でゴロゴロしているわけなのですが、たまに買いたいな、と思う物も見かけることがある。しかし、ほとんどのものは、どこかで広告を見たとか、店で見て気に入ったとか、「買わせたい」という売り手の意思が介在していることが頭をかすめてしまうこともあり、購入前に萎える。銀行口座の残高を減らすために、ローンの額を増やすために、満足感を得るために、誰かに自慢するために、、、物を買うのに理由なんていらないとは思うのだけど、常に頭の中にあるのは、「それで、何になるの?」だ。
本当に、ほかのすべてを犠牲にしてもただひとつだけ欲しい物を考えてみる。思い浮かんだら次は、「いくらで買える?そもそも金で買えるのか?」。自分が欲しい物が無いので、会う人会う人、「最近欲しい物とかある?」とか聞きまくるんだけど、相手が若かったり学生であれば、物欲寄りの答えが返ってくる。旅行したい、趣味に金を使いたい、などなど。20台中盤以降の社会人であればだいたいカネ。できた奴らからは「親孝行」という答えが聞けたことも。あとは、商売始める、投資する、貯金する、マンション買う。。。本当に手に入れたいものに向かう過程で、カネやモノが必要な場合もあるだろう。でも一般的には幸せを手に入れる過程でカネが必要になる場合が多いだけで、金があればイコール幸せではないってな認識。だから、マンションを買ってどうなるの?服を買ってどうなる?ブランド品をそろえて幸せ?高いメシを食って楽しい?
本当に価値があるものは、いくら金があってもなかなか買えない物だ。どんなに貧窮しようとも最後まで捨てないものだ。みたいなことを思ったりもしたので、あらゆる所有物を捨てたり譲渡したりしてみた、最後に何が残るか試してみた。
で、どうなったかと言うと、下記の物が残った。
・過去の日記やアルバム
・必要最低限の衣服
・iphoneとmac
・冷蔵庫と洗濯機
・工具
・布団一組
・イス一脚
過去の日記やアルバムは、読み返したりして過去の時間軸にバタフライエフェクトるために必要なので、なかなか手放せないけども、一ミリもさわってはいないし、入っている箱すら開いてないので、どこかトランクルームなりにぶち込んでしまえば自宅に置かなくてもいいような雰囲気だ。
必要最低限の衣服は持っていないと、寒かったり逮捕されたりで不便。しかし、どこへ旅行に行くにも一番かさばるのは衣類。どうにかならない物か。もはや、購入する基準が「コンパクトに折り畳めるかどうか」「いつ捨ててももったいなくないかどうか」等になってきている。本末転倒だ。
iphoneとmacに関しては、常日頃から捨てたいと思っていて、何かこう、鎖に繋がれているように感じたり、奴隷の足についてる鉄球みたいに思えたりする。(何せ2kgある鉄板を毎日持ち歩いてるのと同じ負担がかかっているし)。これも、まあ、手放しちゃってもいいかなと思えるような準備はできた。具体的には、1.友人知人にはこちらから連絡する 2.コンピュータは作業するべき場所で借りる で何とかなると精査できた。多分今までに携帯電話を30〜40回買い替えて、番号も何十回もかわっているので、俺を知っている人ならみんな、突然知らない番号からかかってきても普通に話してくれるようになったし、パソコンとかはもうどこにでもあるので、必要な時だけ借りることができる。
冷蔵庫と洗濯機は、部屋を引き払うまではあった方が便利だから残してるけど、無きゃないで前職が異色にしてコインランドリーに行けばすむ話だ。
工具、これはなぜ残しているかと言うと、自分のtodolistに書いたタスクに未練があるから。すなわち、楽器作る気はまだあると言うこと。
布団一組、まだ無きゃ寒い季節。去年の夏は、日本にいる時は毛布だけで床に寝ていたよ。
イス一脚。AMAZONで買った7000円くらいの奴なんだけど、今までで一番座り心地がいい上に、もう取り扱いが終了してるので捨てる決心ができていない。
これだけだ。
机、棚、本、その他日用品、上記以外の物は全て不要だった。簡単に誰にでも買える物は無価値だと思うのと同様に、簡単にいつでも捨てられるものは無価値だとも思っていたので、消費者にならずに暮らして行けば、ぶっちゃけ服だけあればOKと言うことがわかった。
また、ここまでやってわかったのだけど(ここまでやる前に分かれよとも思うのだけど)やはり最後に一個楽器を作って、それで終了にしたいと言う思いがまだ残っていることも確認できた。
と言った感じにモノは処分できたのだけど、自分に物欲が無かったりハマれる物が無かったり、金をつぎ込む対象がなかったりするので、それらがある人に対しては、うらやましいなと感じている。